Movie Review
番外編II
二つの続編が存在するエクソシスト。これが真のパートII
ネタバレ全開、要注意!
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Jan 17/ 2002
◇マルコによる福音書5章1節から13節◇
こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。 この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。
彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。
それで彼は夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。
彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、大声で叫んで言った。
「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」
それは、イエスが「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言われたからである。それで、「おまえの名は何か。」とお尋ねになると、
「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから。」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。
ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってあった。彼らはイエスに願って言った。
「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って豚に乗り移った。
すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
時代は1990年、ワシントン、ジョージ・タウン。
黒人青年から赤い薔薇の花を差し出される。
そしてあの石段から転落する記憶、このシーンを思い出しているのは、ダイアー神父。
そして観客である私たち。そしてもう一人、レギオン。
ダイアー神父は15年前の同じ日、このジョージ・タウンで命を落としたダミアン・カラス神父を朝のメッセージで用いた。
ダイアー神父はスモーカーで、彼の普段の言動も教会後援者にはあまり良い評判を得ていない。
一方、15年前マクニール邸で起こった事件を担当したキンダーマン刑事は、同じく15年前に死刑になったはずの「双子座殺人犯」しか知りえない事実、しかも公表されていない手口そっくりの殺人事件が起きたことに驚いている。
子供たちへの被害が多い、世の中の流れを憂い、友人であるダイアー神父に「君の神は宇宙でのんきに踊っているのか?」とこぼしてしまう。二人は友人で共に映画が好き。一作目(ディレクターズ・カット)でのラストシーンで、リーガンたちの車を見送る神父に「招待券があるので『嵐が丘』を見に行かないか?」と誘っていた。
今日もダイアー神父にとっては38回目となる
「素晴らしき哉、人生 IT'S A WONDERFUL LIFE」を見てきた後だ。
つい先日港で発見された遺体は12歳の黒人少年のもので、とても凄惨な事件だった。キンダーマン刑事のダイアー神父への愚痴は、「神の御手が短くて、救えないのだ」と訴えているようなものかもしれない。
その後からこの映画はサイコ・サスペンスのように進行していく。殺人の手口は台詞から詳しく想像が出来るものの、映像では出てこない。
1995年の「セブン」で私が感じた恐怖、想像する事を脳が拒否してしまうほどの残忍な手口というサイコ・サスペンスのホラーは、この映画で味わう事ができた。港で発見された黒人少年の手口では薬によって体を麻痺させて抵抗できなくし、意識がある生体のまま、この上ない残酷さで死へと招いていくものだった。
そして次に起きたカナバン神父殺害もまた同様。そして「双子座殺人犯」と同じ手口で行われたこの犯行現場には、未知の者の指紋が発見された。
ダイアー神父がいた病院で事件が発生。次々とカードが投げられる。
首切り同様、後二つある「双子座殺人犯」の手口、そして被害者の名前に共通する頭文字K。
そしてレギオンによる宣戦布告、壁に書かれた血の文字。「IT'S A WONDERFULL LIFE!」。
ここでキンダーマン刑事も、標的にされていると判る。病院を極力閉鎖しての捜査が開始された。そこで地下の隔離病棟の、あるの男が影のみで登場する。私はこのシーンで反応した。誰かに似ているのだ。
ダイアー神父とカナバン神父と黒人少年の関連を探るうち、二人の神父においては、リーガン・マクニールの悪魔祓いに関与していた事が神学校の学長によって語られる。そこでカラス神父や、マクニール親子とも親しかったモーニング神父とその部屋のシーンが映し出される。
それから再び、隔離病棟の男。この男はキンダーマン刑事に、「レギオン」と名乗った。そして恐るべき告白が続いていく。この後は映画でご覧を。お薦めです。
二作目に対して、その出来に納得できなかったウィリアム・ピーター・ブラッティはこの映画を作り上げた。
二作目で完全に不在だったカラス神父を登場させてきた。待ち望んだのに、カラス神父の在り方は、私には残酷な事とも思える。あのまま、死によって天へ召され休息につく筈だった魂を再び深い闇に突き落とし、苦しみを与える形となった。15年もの間。
あの時期に二作目を作る意義は商業的にのみあった事ではないだろうか。
それでも世に出ている二作目で完結させるのは、見ているだけの私にも納得がいかないことだった。
一作目のクライマックス、リーガン解放に対する神父たちの祈りは聞き届けられた。
パズズを自分に乗り移らせ、最後に証明したカラス神父の信仰は確かなものだった。それを見た偉大なる善の力はカラス神父も解放し、天に召したのだと思う。死がすべての終りではない、それは悪魔自身の手によるものではないと思うのだ。
悪魔の「許された試み」は失敗に終わったはずだった。それは希望の光、善の勝利の瞬間だった。この章の初めに引用したマルコによる福音書5章1節から13節は『エクソシスト』そのものであるように思う。
「人の子が来たのは失われた者を尋ね出して救うためである。」
それはとても突然に、あっさりと成就したように見えたかもしれない。
たとえ邪悪な存在が大勢の軍団を率いて押し寄せてこようが、光の前に出ることは叶わない。
この第三作目は映画としてはとても面白いものだとは思う。一作目の流れを汲み、さらに残酷さを増してもいる。
しかも一作目のフリードキン監督が見せた残酷さとはまた違う恐怖が味わえる。映像のみで知る、ウィリアム・ピーター・ブラッティの精神世界の一部分だ。
彼が二作目に感じた問題点も詳しくは知らない。これはすべて私の見方によって書かれているもので私情以外の何物でもない。
2003年「Exorcist Dominion 」がアメリカにて公開されるそうだ。Dominionとは支配力のこと。
監督はジョン・フランケンハイマー、ストーリーは若きメリン神父のアフリカでの物語とのこと。
パズズとの因縁が明かされる内容との事だ。原作はウィリアム・ピーター・ブラッティの小説である。
カラス神父のストーリーではないようで安心している。
「エクソシスト4」が誕生するのだ。うふふ、楽しみ…♪
Sep 25/ 2003 追記
2003年「Exorcist: Dominion 」がアメリカにて公開のはずがいっこうにニュースがないので
調べると「Exorcist lVThe Beginning」というタイトルに変わり、アメリカでの公開予定は2004年2月6日に決まったようです。
残念な事にウィリアム・ピーター・ブラッティの名前が消えていて、脚本は「ターミネーター」シリーズ、「13ウォリアーズ」「ジャッジ・ドレッド」のウィリアム・ウィッシャーJr.「チルファクター」の脚本を書いてるカルブ・カーの名前が書かれてました。何があったの???
なんだか凄く落胆しました。また「エクソシスト2」の二の舞になるのでは…。凄く楽しみにしてたのに…。
続くかもしれませんが一旦、END.