Seeking after truth ll
ホタル
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知覧特別攻撃隊
第79振武隊佐藤新平曹長様
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知覧特別攻撃隊
第79振武隊佐藤新平曹長様
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09 /05/ 2002
「遺書」
天皇陛下万歳
大命ヲ拝シ、新平只今特別攻撃隊ノ一員トシテ醜敵艦船撃滅ノ途ニ就キマス
日本男児トシテノ本懐コレニ過グルモノハゴザイマセン
必中、必沈以テ皇恩ニ報イ奉リマス
新平本日ノ栄誉アルハ二十有余年ニワタル間ノ父上様、母上様ノ御薫陶ノ賜ト深ク感謝致シテ居リマス
新平肉体ハ死ストモ魂ハ常ニ父上様母上様ノオ側ニ健在デス
父上様モ母上様モ御老体故呉々モ御体ヲ大切ニ御暮ラシ下サイ
決シテ無理ヲナサラヌ様
デハ
日本一ノ幸福者、新平最後ノ親孝行ニ何時モノ笑顔デ元気デ出発致シマス
親類ノ皆様方近所ノ人達ニ宜敷ク
新 平 拝
御両親様
「辞世」
身はたとへ 敵艦船と砕くとも 七度生きむ あかきこころは
ありがたき御代にうまれてやくだてる そのよろこびに われはゆくなり
記念館の外に出てしばらく散策してみた。
基地跡の東隅にある特攻平和記念観音堂にも行ってみた。
置かれている白い菊の花をお供えし手を合わせた。その左手には戦士の名前を刻んだ石碑があった。
その観音堂よりあの灯篭が続いており、その間を歩いていると震える思いだった。泣いているのを夫に見られないように日傘を深くして、そっと歩いた。
岩手県渋民村の出身の佐藤曹長は、当時23歳、その時すでに「翼の生活」に入り6年経っていたそうだ。熊谷陸軍飛行学校の出身とのことらしい。
昭和20年3月27日より始まる「留魂録」には「4月5日の出陣ノ朝」の記載があるが戦死は4月16日となっている。
帰る時間がきてもこの日記が頭から離れず、私は記念館に行く前に地図をもらった観光案内所にもう一度行ってみた。書籍販売のコーナーに、確か、映画「ホタル」のビデオソフトや原作本が置いてあったはす…。その中に、あの子犬を抱いた戦士たちの写真を表紙にした「知覧特別攻撃隊」という本を見つけた。
本の中央が包装紙に巻かれていてその場では中身が確認できなかったが、それを購入した。
車に戻って知覧のお茶も買っておいたら良かった、というと「鹿児島ならどこでも買える」といわれて諦めた。
本当はもう一つ行きたい所があった。それは「ホタル」の中の金山曹長が、山岡達たちに遺言を残した、岩場がある海だった。夫はあれはおそらく聖ヶ浦か長崎鼻だろうと言った。長崎鼻の西には開聞岳がある。それは薩摩半島の最南端。その日は時間が無いので断念した。
車に乗り、買ったばかりの本を開いた。私はとても驚いた。その本の目次の三つめに 「留魂録」佐藤新平 の文字を見つけたからだ。
全文ではなかったがもう一度読みたかった部分が掲載されていた。あの笑顔の写真も…。
それから富屋食堂へ立ち寄った。しかし時間に遅れてしまい、中に入る事は出来なかった。また、絶対来ると心に決めながら、外観を眺めて写真を撮って富屋食堂を後にした。
戦争には、勉強不足のためまだ私が知らない側面や、同じ日本軍による数々の残虐行為などの忘れてはならない部分もある。美化して見ているつもりはないが、私は一個人として、あのような人間兵器となってまで愛する人たち、日本の未来を守りたかった人たちの話を忘れたくないと思った。
到底私では辿り着けないその心情、その潔さ。もう日本では誰もこのような決心をする必要もなく、平和に暮らせる世の中にいる。
薩摩半島には、陸軍最後の特攻基地 加世田市の万世基地、そして聖ヶ浦特攻基地もあった。
映画「WINDS OF GOD(ウィンズ・オブ・ゴッド)」、「君を忘れない」なども近年制作された
特攻隊の映画だ。それを以前見たとき、今のような衝撃は受けなかった。戦争そのものが馬鹿げたことであると思って見ていたからなのだろうか。もう一度その映画たちを見るとき、また違う思いを抱くのだろうか。懇切丁寧に、模範解答、真実、秘儀などをダイレクトに聞いても呑み込めなかったりする。
それは映画を見るに限った事ではないと思う。
いつも思うこと…物事にはそれぞれ、理解するのに一つ一つ鍵があるような気がする。それを手に入れないうちは何度見ても何度聞いても何を調べても到底理解できない。どんな経験をしようが、自分のものに出来ない。目にウロコが張り付いたままで物事を見ている。でも一たびその鍵を手に入れると、全ての物事が繋がり、自分の行く道が見えてくる。目からウロコが落ちて、クリアに見えてくる。でも、それを何度も繰り返さなければ真理には辿り着けない。そんな事考えないで居られるのが、本当はいいのかもしれないとも思う。その上その鍵は自分の努力だけでは、どうしても手に入らない。明確な形すらない。
でも、あえて目を曇らせたままでいたい時もある。その方が生きやすいからだと思う。だけど、いつのまにかその見えない鍵を求めて悪戦苦闘してしまう。こんな馬鹿な私が考えることはこの程度の事である。
「何事にも時がある。天の下の全ての事には時がある」
「愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦いのための時があり、平和のための時がある」
という言葉がある。それぞれふさわしい意味をなす、時が備わっているという意味だ。
私が思う「鍵」とこの「時」は同じ意味であると思っている。
そして映画を見るにも時がある、と私は思っている。
佐藤新平曹長様、あなたが導かれた真理はどのようなものだったのでしょうか。
この世の中に生きていたら、どんなことを思いますか。
END.