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Seeking after truth ll


パッション The Passion of The Christ
キリストの受難
観たあとあなたの心に残ったのは何か。

ゴルゴダの丘

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27/01/2005

◇イザヤ書53章10節〜12節
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。
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十字架を抱きしめるキリストイエスをこの罪に問い、殺したのは誰か?

そう、史実のよれば、ユダヤ人が罪に問いローマ人が殺したことになる。
映画として賛否両論あるのは仕方のないことだ。でも、ただなんの歴史にも左右されず、この映画を自分のことと受け止められる人は
幸せであると私は思う。どうにかしてこの気持ちを伝えたいのだが、私には難しすぎる。あまりにも過酷な鞭打ちの刑が、長く続くのはこの映画において重要なシーンだからだ。

メル・ギブソンはこの鞭打ちに関して、瞑想と祈りをもって、平安に導かれたと公言しているとのことだ。
一人の人間としてイエスを考えるならば残虐な物語だと思っても仕方がない。好ましいとは言いにくいだろう。
でも私にとっては、イエスはこの時代から現代に至るまで、そしてそれから後に続く時代の人々を救済するために身代りとなってささげられたいけにえであるのだ。

十字架にすがり抱きしめるシーン。
もうすぐだ、もうすぐ預言が成就される、もう少しだ、と思いながら必死で見ていた。

十字架を一緒に背負ったのはクレネ人のシモンという人である。
それを命じた人物は百人隊長のアデナベールだと思われる。
あの傷を負い、その上十字架を負わされているイエス…。

前後して申し訳ないが、イザヤ書1節〜3節
私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。
彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。



ゴルゴダの丘に登り、処刑の準備が始まった。
たくさんの人がイエスをののしった。

〜「神殿を打ち壊して3日で建てる人よ、神の子なら自分を救ってみろ」〜
司祭たちは、
〜「彼は他人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら
今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから」〜

イエスはこの時
〜「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているかわからないのです」〜
(ルカの福音書 23章34節)

そのように、このときでさえ、自分を処刑する敵のためにも、とりなしの祈りをささげているのだ。

一緒に十字架にかけられた罪人の二人がいた。一人はイエスをののしり、一人はそれをたしなめている。このシーンは、だれでも死ぬ瞬間までも赦しを受け取るなら、天の御国に入れることを示す福音なのだ。

〜「エロイ・・・・エロイ・・・ラマ・サバクタニ!」〜
わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。
という意味であるそうだ。私はこの箇所がどうしてもわからなかったのでけど、今では、それをいって死ぬ人、イエス以降、誰でも言わなくてすむ言葉なのだと思っている。上手くいえないけど…。

それから海綿に、苦味を加えたぶどう酒をふくませたものを、飲ませようとしたがイエスはそれを拒む。これは「もつ薬」で痛みを麻痺させる効能があるものだが、痛みそのものを受ける選択なのだ。そして息を引き取る。

ここまでの事は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書において、それぞれ特異の事実が存在しているが、それを総合的に丁寧に映像化され、より真実に近い表現になっているようだ。とても素晴らしいことだ。

この時曇って暗くなっていた空から雨粒が落ちてくる。これは父なる神の嘆きだ。それからユダヤ人たちが大切にしていた神殿が地震によって真っ二つに裂けた。

〜イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、
死んでも生きるのです。」〜

(ヨハネの福音書11章25節)

神殿を3日で建て直すというのは3日後復活したイエスそのものが神殿であり律法であるということだ。

この映画を見た後、私はどんな思いを抱くだろう、非常に恐ろしいのではないかと思っていた。
でも、そうではなかった。むしろ神の愛の大きさに胸がいっぱいになった。それを言葉で言い尽くすことはできない。
この映画を見る人のために私は、これは預言であり、成就され、新約の新しい時代に生きることの平安を伝えたかったのだ。
あの時代の人たちの特権でではなく、遠い時代の神話でもないことを、映画化して私たちに見せてくれたメル・ギブソンの偉業をこの映画に目を留めるひとたちに伝えたい一心で書いてみた。いまでもこの預言は生きていて、人々に述べ伝えられているのだ。



〜しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし彼らの咎を彼がになう。
それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。〜

(イザヤ書53章10節から11節)

END.

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