Movie Review
partI ウィラードについて
映画『地獄の黙示録 完全版』より
「ウソが醸し出すいやな臭いを憎む」
「闇の奥」マーロウ船長の言葉より
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Feb 03/ 2002
◇1979年の「地獄の黙示録」から22年の歳月を経て、コッポラ監督の手により、53分に及ぶシーンが追加されました。この完全版は全米、ヨーロッパ、各国では限定的に公開されていますが、日本では他に類を見ないほどの拡大公開となっています。は映画ファンとして感謝しています。
This is The End.
再び私たちはナン川を遡り、カーツ王国への旅に出る。この旅は、22年前より、より鮮明に、より明確になった。コッポラ監督は79年に公開されたオリジナル版に新しくシーンを追加した。この完全版が唯一のオリジナルフィルムとなった。79年度版の形で残す手段を取っているものの、正真正銘の「地獄の黙示録」がこの時代になって、ついに完成した。これは完全版の名前に相応しく、完璧な出来映えになっている。
part I .ウィラードについて
新しいシーンについては、ストーリーに沿って、細かく追加されている部分と、まったく新しいエピソードが加えられているシーンとに分けられる。
詳しくは映画にて確認していただきたと思う。
私にとっては、ウィラードについて全く、新しい面を発見することが出来た。それは大きな喜びだった。
79年度版をよく見ればわかったことだったのだが、私にとってのウィラードは、冷静、冷徹で何事にも動じない人間で、まるで実像がないような、不自然な感じがしていたのだが、それは違っていたことがよくわかった。この完全版では、ウィラードに限らず、すべての人物が、細かく生き生きと描かれている。
キルゴアのワルキューレの伴奏による戦闘シーン、ナパーム弾による爆撃シーン等は、コッポラが意図した通りに受け入れられているとは思えなかった。戦闘による昂ぶりや華麗さに目を奪われることは監督の意図する所ではないはずで、カーツ大佐の不健全さと、キルゴアの不健全さを比べるシーンではあるかもしれないが重要なシーンとは思っていなかった。監督はこの映画に、観客が期待するような派手な戦闘シーンがないことに不安を覚え、カーツ王国爆破シーンをエンディングに使い、カンヌでの公開時にそれが間違いであったと思い、プリントを回収した、というエピソードから、このシーンもいわゆる戦争映画として成り立たせるための見せ場的意味であろう、としてしか私は見ていなかった。
コッポラ監督はこの映画を「反戦映画」であると語っていたにも関わらず、私は、そうとは思えず、何かを戦争に置き換えたに過ぎないとしか考えていなかった。そのことからキルゴアの見方を、私の中で自分自身でとても曖昧にしていた事がよくわかった。キルゴアを許している事も、戦争の欺瞞であり、テーマのありかを示したシーンの一つだったのだ。今回はキルゴアが、怪我を負ったベトナム人親子を病院までヘリで搬送する指示を与えるシーンが加えられた。
ここにあるシーンは、カーツ大佐が訴える戦争の欺瞞を、まざまざと見せ付ける重要なシーンで、矛盾するアメリカ軍の有様を容赦なく描き出していたものであった。
爆弾を落としてバンドエイドを与える、というウィラードの言葉を、そのままに描いたシーンであった。
そして、サーフィンのための波を待っているキルゴアに対して、ウィラードの感情が表現されたシーンが大幅に加えられている。あまり詳しく書けないので、ぜひ映像で確かめて頂きたいと思う。
このシーンでウィラードはただ冷徹ではなく、表情を持った一人の人間として感じる事が出来た。任務を待っていたサイゴンのホテルでの彼とは別人のようだ。そして本質的に、ウィラードが見ているものや感じていることは、カーツ大佐と同じであることが実感できるのだ。
そして次に、燃料切れで帰る事ができなくなったプレイメイトたちとストリートギャング艇との、取引のシーンがある。
79年度版と大きく違っているのは、女性が登場し、本質的なきちんとした台詞があることだろう。
私はとても驚いた。もっと後のシーンになるが、子供の声や姿も登場する。
乗組員クリーン(ローレンス・フィッシュバーン)の亡き後、辿り付くフランス人農園のシーン。
ここで明らかにされるものも興味深いのだ。フランス人から見たベトナム戦争が、晩餐会のシーンで描かれる。
アメリカはべトコンの前身、ベトミンを肥え太らせていた。この時代に、特別完全版が発表されたのは大きな意義があると思う。
このベトナム戦争で、アメリカは何のために戦うのか?フランス人がインドシナから撤退した事から何も学ぼうとしない、とフランス人入植者たちは、ウィラードに激しく問う。
「どうして、アメリカ人がここに(この戦争に)いるんだ?」
戦火の下で見るベトナム戦争への視点とは別に、客観的なベトナム戦争が描かれている。
そして、カーツ大佐が見た、ベトナム人の「彼らの強い意志、 天賦の才」を、フランス人も感じ取っていた。
卵を割ってウィラードに見せるシーンは、それをわかりやすく見せていて面白い。
フランス人未亡人とウィラードのシーンにおいても、ウィラードの違う一面が見ることが出来る。
まだ書き足りないこともあるし、これら以外にも追加されたシーンもある。それらの結果は、ナン川を遡る行程を、ぐんと面白くしているのである。メンバーたちの間に生まれる友情も強調されている。
ごくまとまなアメリカの若者達が狂気に触れていく過程も鮮明だ。それ以上に、子犬を得た、ベトナム人の船の上でのウィラードの行動が、ただ冷徹だけではなかったことがわかった。
爆弾を落としてバンドエイドを与える、そんなアメリカに対してウィラードは怒りを覚えている。
川を遡る行程は、カーツ大佐を「不健全」にしていったものを凝縮して私たちをその感覚に近づける目的で見せているのではないかと思うと以前1979年の「地獄の黙示録」のコラムで書いたのだが、今回ウィラードを通してそれを完全にはっきりと確信が持てる。
「ウソの醸し出す、いやな臭いを憎む」
ウィラードは、それを感じ取り、密林での任務を真っ直ぐに目を逸らさず見つめていたのだ。狂気に呑み込まれずに…。すべてはカーツ大佐の言葉を裏付けている。スムーズに終焉へと向かわせているのだ。
次回 part II に続く…。次のページへ