Movie Review
partll カーツ大佐について
映画『地獄の黙示録 完全版』より
「ナパーム弾を人間の上に落として跡形もなく焼き払う事は許されるのに、
ナパーム弾を落とす爆撃機にfuckと落書きするのはワイセツだという理由で許さない」
死の前にテープに残したカーツ大佐の言葉
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Feb 05/ 2002
◇頭を丸め、軍服を脱いで、死体が散乱する寺院いるカーツは、台詞や元になるストーリーから見る以上の不思議な存在に感じてしまいます。
冒頭の、かみそりの刃の上を這うカタツムリのメッセージからも、私は、つかみ所の無い怪物のようにカーツを捕らえていました。
Horror. Horror has a face...
カーツ大佐を演じたマーロン・ブランドについては、この映画の79年度版を難解、哲学的な要素を前面に出した形になった一因を担っているように思えてきた。映画を見た後、カーツの言葉について加えられたシーンが印象的になり、「戦争の欺瞞」についての部分が強調されていた。特別完全版は、
「反戦」のメッセージをダイレクトに受け取る事ができた。それがとてもわかりやすく、今までになかった戦争映画であるといえる。
全く今までとは異質な戦争映画だ。
part II .カーツ大佐について
私がこの映画を「反戦映画」として見ることが出来なかった最大のポイントはカーツ大佐の存在だ。闇に浮かび上がるカーツ大佐は、なにかもっと違う、私が今まで知らなかった事を暗示してくれる存在に思えた。
ウィラードに「真の自由とは何か」と問いかけ、「恐怖を友にしろ」と言う。
新しいシーンは、昼間の日の光に照らされたカーツを見ることが出来る。かつては政治的にカットせざるを得なかったアメリカの戦争報道への批判が語られている。それはとても明確で、迷宮に迷い込みそうなシーンの入り口を照らすかのように始まっている。そしてその台詞の一つ一つは丁寧に訳されているように感じる。
省略され気味の日本語字幕が、難解にさせている要因でもあったので、嬉しい事だった。
カーツは、私たちが見てきたストリートギャング艇での出来事を、何があったかを、感覚的においてだが、すべて知り尽くして、ここでウィラードたちを迎えている。
この映画、「これは コッポラが産んだ生きものだ」 という日本語コピーがある。それはまさにその通りだと思う。特にカーツ大佐のシーンはすべてにそう思えてくるのだ。二人を、そしてこの映画を通して見ている黙示は、映画から旅立ち、生きものとして私たちを捕らえる。まさに神懸り的。戦争映画としても十分な内容になっていながらも、79年度版をより昇華させた形で、私たちに投げかけられる大きなテーマを抱えているのだ。
ウィラードから目を移し、カーツ大佐について思うと、「反戦映画」と決め付ける事も無い、と思えてくる。
例えば、人間が持つダークサイド、コンラッドの「闇の奥」の原題の通り「Heart of darkness」と、相反する人間的道徳観念、その二つの矛盾、その明と暗、善と悪が同居するジレンマを黙示したもの、映像としてそのまま表現したものではないだろうか。
監督の主眼はベトナム戦争に置かれている。
ただ、命の尊さ、祖国や家族、人類への愛を説いて反戦のメッセージを送るだけでは済まなくなってきているこの時代に投げかけるテーマとして深く、
またこれからも普遍的に続くテーマになり得ると思う。遠く離れた、異国の地で起きた、何の縁も無い戦場での物語ではない。
人間の心の奥に潜む、またあからさまにされている欺瞞を、容赦なく暴き出している。
いくつもの戦争が世界で繰り広げられてきたが、ベトナム戦争は「アメリカ史上稀な、無為な戦争」とされている。
カーツ大佐はこれまで軍人として幾多の戦場を経験してきたに違いない。自分の華麗で優秀な経歴は、ベトナム戦争で見た、矛盾するアメリカの上に成り立っている事を見てしまった。
ただ大きな怪物に見えたカーツ大佐に、今回私は、純粋な面を見出したような気がした。
おそらくアメリカ軍の将校としては、類稀なほどに無垢な心を持った人間であったのではないだろうか。
マーロン・ブランドという俳優が醸し出す雰囲気に、目を奪われすぎてもいけないような気がした。
カタツムリのメッセージはカーツ大佐の夢の話だ。そしてそれは想像してみると、なんとも言えない悪夢。
カーツ大佐はベトナム戦争において、その欺瞞に気がつき、それを真っ向から拒否し、それを糾弾した。「奴らは私を人殺しと呼んでいる。人殺しが人殺しと責める。欺瞞だ。」
そして、ウィラードに言った言葉に「(私を)殺す権利はあっても裁く権利はない。」というものがある。
上手く説明できないが、私はカーツの苦しみが見えてくるような気がする。
彼はこの王国に王として君臨していることを、決して満足には思っていなかったのではないか。
特別完全版では「欺瞞」という強いテーマが見えてくるが、それを正す強い力を、人間は持っていないのだ。
そう、カーツは思っていたのではないだろうか…。私にはそう思えてならない。
「善と悪」 これに関する事は私がいつも関心を持つこと。
全くの善と言える人間はどこにもいないと思っている。
書いているうちに、私には書ききれないことを実感してしまった。これから、何度も何度も繰り返し見ていきたい映画だと心から思う。
きっといつの時代にも、私たちに何かを投げかける映画になるだろうと思う。
partIIIへ続く…。次のページへ