Movie Review
エクソシスト2
番外編
二つの続編が存在するエクソシスト。良いイナゴ、悪いイナゴ。
ネタバレ全開、要注意!

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     Jan 16/ 2002
      
  ◇前作から4年後、監督ジョン・ブアマン、脚本ウィリアム・グッドハートでの、続編「エクソシスト2」。
      しかし、原作者ウイリアム・ピーター・ブラッティ自ら監督、製作、原作、脚本による「エクソシスト3」が
      1作目から17年の時を経て発表されました。EXORCISM、EXORCISTをタイトルに含む
      様々な作品が発表されてきて後の「エクソシスト3」は本物の続編であり、真のEXORCISM、EXORCISTの物語であると私は思いました。
      この章では「エクソシスト2」で私が感じた不自然さと違和感について
      お話したいと思います。前置きが長くて申し訳ありません)
      
      よく言われているように、二作目においては、ショッキングなシーンはほとんど無い。それが私の感じた違和感ではない。期待するのは人間の血が流される事ではなく、善と悪の戦いの舞台であるからだ。しかし二作目ではその本質であるはずの、善と悪の解釈が曖昧な形で終わっている。解釈が異なるものとなっている気がする。
      そのためか三作目こそが続編であると言われ、二つの続編が存在する形となったのは当然ではないかと思えてくる。
      
      前作のシーンが度々挿入されるので、初めは続編としか思えないが、ここは躊躇せず、別の映画だ、と思ったほうがいいような気がする。
      
      カトリック教会からの派遣で4年前の事件に関わったメリン神父の死因について詳しく調査を依頼されたラモント神父は、戸惑っていた。彼とメリン神父は親しい関係だった。
      ラモントはメリンの南アフリカでの戦いを受け継ぎ、エクソシストの経験もあったが、限界を知り任務を拒否。しかし強い命を受けて、まず手始めにリーガンに面会を試みる。
      
      あれから4年、事件の記憶を持たないリーガンは美しく成長している。女優である母クリス・マクニールは、 長期の撮影に出た。
      母の留守に代わり、リーガンが通う精神科の主治医ジーン・タスキンが、彼女を精神的にサポートし、日常生活では事件の一部始終を体験してきたメイドのシャロンを再び呼び寄せて、サポートさせている。主治医ジーンはかつての悪魔祓いが、リーガンにとって精神的な傷となっていると考えている。
        
      その面会シーンに出てくるのは精神感応装置というSFチックな媒体だ。お互いの脳に感応して悪夢を共有できるというもの。これを使ってラモント神父はリーガンの脳と通信、精神の奥底にあるものを覗いてしまう。今もなお、リーガンの内にある邪悪な存在を目の当たりにする。
      メリン神父とカラス神父が行った悪魔祓いは成功していなかった。(という前提)
      それまでにメリン神父が関わってきた悪魔祓いのエピソードが展開されるシーンがある。前作で登場したパズズとのアフリカでの戦いである。
      古代アッシリアの「大気の悪魔の王者」との別名を持つパズズとの戦いは40年前のことだった。この頃からメリン神父は人類の変革を感じ取っていたという。変革。この辺りから、この映画は前作の流れをとことん無視し始める。
      
      4年前の事件の舞台、ワシントン・ジョージタウンの家の側の石段のシーン。この石段を傘をさしながら雨の中、ラモント神父が登ってくる。
      ここで死んだカラス神父を思い出さずにはいられないはずだが、触れられないままにシャロンの案内でラモント神父は家の中に入り、リーガンの部屋を見る。ラモント神父、神父としての姿はここまでとなる。
      
      再びクリニックでの精神感応装置を使っての実験。大気の悪霊の王者、パズズの出現。40年前のエチオピアの聖域での悪魔祓いが展開。イナゴ大群も現れる。イナゴの大群をただ一人制することが出来る少年、豹を吐く少年コクモがいた。
      甚大な被害をもたらすイナゴに立ち向かえる少年コクモは偉大なる善の存在であるという。ラモント神父はリーガンと共有した悪夢の中の少年を探しに、実際に聖域へと向かった。パズズの強敵である、コクモの力を得られれば、リーガンを救う事が出来るかもしれないのだという。
      ここから先は映画でご覧を。(よろしければ
      もう見た、という方には私が感じた違和感、すごく理屈っぽいと思われるが…許していただくとして、違和感と疑問について書いておこうと思う。
      
      ●前ページで私が解釈したものの抜粋。
      ・悪魔の計画について。
      >曇りのない信仰をもつメリル神父と勤勉で実績がありながら信仰を失いかけている
      カラス神父が標的。
      >少女リーガンとその母は、そのための囮ともいえるのである。
      >悪魔は、かつて自分がそうであったように、祈りの中で神と語らうことが出来る一握りの人間の、
      神との揺ぎ無い関係を壊すのが目的なのである。
      ●疑問点。
      ・悪魔の狙いはリーガンそのものだったのか。
      ・「神」の存在は「リーガン」と「コクモ」にすり替えられているのでは。
      ・「祈り」は精神感応装置にとって代られているのでは。
      ・これが本物の続編なら、「エクソシスト」はいつの間にファンタジーものに?
    
      
       
      
      二作目で語られる良いイナゴ、悪いイナゴがリードするストーリーにも甚だ疑問を感じた。
      前作のクライマックス、悪魔祓いでのカラス神父の苦難の意味は。
      ジョージタウンのリーガンの家の階段で交わされた会話、「なぜ、あんなにいい子が標的にされるのか」というカラス神父の問いに答えたメリン神父の言葉、それをすべて否定する台詞をこの二作目は、メリン神父本人に言わせている。
      これではメリン神父までもが「異教徒」に見えてしまう。というのはあくまでも私の見方。
      
      これが全く別のタイトルで、キャストも違っていたら、もっと違う見方が出来たのだろうか。いや、リーガンの物語だからこそ存在できたのかもしれない。   もっと極論を言えば、メリン神父の死因に何の疑問の余地も無いはずだったのだ。
      メリン神父の命を絶つことは悪魔の範疇ではない。神の領域なのだから。
      
      しかし前作で印象に残るシーンはやはりリーガンに関するものであることに違いないだろう。前作はホラーのジャンルに対して大きな影響を与える映画となったのだから。この流れも興味を持つ対象でもある。それに忘れてはならない、メリン神父のエチオピアでのエピソードそのものは見る価値がある。
      
      次は「エクソシスト3」について。
      この原題はThe Exorcist lll Legionレギオン=軍勢である。
      語源はローマの軍団の名。1レギオンは6千人兵隊と騎兵からなる軍団。これは悪魔が組織する邪悪な者は集団であることを示し、その数は大勢であることを示すものである。
      レギオンに支配された男の話は、新約聖書、マタイによる福音書8章28節から34節、
      マルコによる福音書5章1節から20節、ルカによる福音書8章26節から38節に登場している。
      
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