Movie Review
映画に出てくる悪魔について
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May 24/ 2001
◇悪魔の起源は、天使と同じ神の子として完璧な者でありました。
ですから悪魔は天使の性質や行動パターンなどは熟知しています。
そしてほとんどのことは見透かしてしまいます。
そんな悪魔と天使の戦いは、「エクソシスト」に見るような壮絶なものばかりとは限らず、
私たちの日常に根付いているとしたら、どうでしょうか?
エイドリアン・ライン監督の『ジェイコブス・ラダー』を見ると、最後の最後で、人間は何時いかなる時も、暗黒の君主の支配下に置かれているのだという事に、気付かされる。
主人公のジェイコブ(ティム・ロビンス)は、裕福で幸せな5人家族の父親だったがある日、自動車事故で末の息子を失う。
その後、ベトナム戦争に行き、名誉除隊になるが、帰還後、それまで優秀な学者だったのに、すべてを無にし、離婚。今は違う女性と同棲していた。
そんなジェイコブは次第に恐ろしい幻想に悩まされる。地下鉄の電車、黒塗りの車、ジェイコブを狙うかのように襲い掛かり危ない目に遭い、必ずそこに不気味な仮面をつけた何者かが乗っていた。そんなジェイコブの元に、戦友から、ある一本の電話が来る。彼もジェイコブと同じ体験をしていた。
タイトルの『ジェイコブス・ラダー』は旧約聖書、創世記の「ヤコブの梯子」のエピソードから用いられている。
ヤコブという一人の男が、べエル・シェバからカランという地に旅立ち、途中、日が暮れたので、一夜を明かすことにした。そこでヤコブは夢を見る。天から地上へ一つの梯子が立てられて、その梯子を御使いたちが上り下りしていた。そして自分の傍らを見るとそこには神が立っており、こう言ったという。
「この土地をあなたとあなたの子孫に分け与える。」
そしてヤコブの子々孫々に至るまで祝福を与え、ヤコブがどこへ行こうとそばにいて見守ると約束する。
朝、目覚めたヤコブは自分が横たわっていた土地に石を置き、油を注ぎ天の門としたという。(ヤコブは英語読みだとジェイコブになる。)
ジェイコブは同じ幻想や体験を戦友たちも経験していることから、軍が自分たちの脳に何か細工をしたと思い、同じ小隊にいた戦友たちと軍を相手に訴訟を起こす決意をするが、除隊後もジェイコブたちの動向を監視し続けていた軍の人物に妨害され、挙句、殺されそうになる。
その後からジェイコブの最も恐ろしい体験が始まる。ぜひ映画で見てみることをお薦めする。
最悪の状況から、親しい整体師(ダニー・アイエロ)によって救い出されたジェイコブは彼女の待つ家に帰り、一本の電話を受ける。
映画ではベトナム戦争のアメリカ兵士、戦意高揚の為に、実験的にある小隊の食事にドラッグが混ぜられていたとされている。そのドラッグの名前が「ラダー」である。その事を知らされ、ジェイコブは自分が体験したすべての出来事の意味を知る。そして整体師が彼に言った言葉が繰り返される。
「死を恐れながら生き長らえていると悪魔に命を奪われる。でも冷静に死を受け止めれば、悪魔は天使になり人間を地上から解放する。心の準備の問題だ。」
すべてを受け止めたジェイコブの前に愛くるしい、死んだ息子(まだ幼いマコーレ・カルキン)が現れて、光り輝く階段に招かれる。そして思いもよらないラスト・シーンが展開する。
物語を振り返ると、ある事実が浮かび上がる。彼を引きとめ、やさしく包み込む存在、彼のそばにいつもいて、彼を愛し、彼が真実を知る事を、ただ怯え、「危険だから行くな」と涙ながらに引き止める人物が最初からずっといた。 この人物に限らず、各シーンで恐れを呼び起こす存在の意味は整体師の言葉でも明らかになる。そして厳ついダニー・アイエロの存在の意味も。ヤコブの梯子の解釈も成り立つ。
ヤコブの梯子の下の天の門は決まったところにあるのではなく、誰にでもあるのではないか。思い返せば伏線は各所に存在した。善と悪の戦いは火花を散らしているわけではなく、淡々と日常的に存在している。最後の最後で決着を付ける意志は人間に委ねられていたのである。
この映画の悪魔達は完璧である。不気味な仮面の男も、人間の為のそれらしい演出に過ぎないように思う。
次ページのPartllはネタバレ要注意
戦争、悪魔、兵士、とくれば『エンゼル・ハート』も思い起こされますが、後になってじんわり恐ろしく、また感慨深く思えるのはこの『ジェイコブス・ラダー』だと私的には思います。
ご経験のある方の場合は、手術室に運ばれる担架の上での気持とか、薄ら寒い手術室の記憶が甦り、体の奥からの恐怖を煽られます。
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